hainekoのつれづれブログ

初めてブログを書いてみます。色んな人や好きな作品について徒然します。

わたしのきもち。17回目のつれづれ。

hainekoのきもち。②

こんにちは、hainekoと申します。

 私のことなので、つまらないお話です。自分の嫌な部分も見せてしまいます。

不定期に続きを書いていきます。(続いちゃう時もあります><)

万が一お付き合いくださる方がいれば、とても嬉しいです。

 

「学級会。」

小学校5年の夏。私の家族は別の町に引っ越しました。

転校して、私はある女の子と仲良くなりました。

彼女は私を「親友」と呼び、家も近所だったので二人でよく遊びました。

当時、漫画「ガラスの仮面」が流行っていて、私も彼女も大好きでした。

そんなある日です。

彼女が数人の他の女子とともに「お芝居」をしようと誘ってくれました。

私たちは「劇団」の真似事のように、演目を決め、

それに向けてお芝居の練習をしたり、先生に交渉して放課後の教室を借り、

発表の場を準備したり、家から古いカーテンをもらってきては、

衣装や幕袖のようなものを作ったりしました。

発表の場は、練習や準備を何か月かかけてやって、個人的に見に来てくれる人が

いれば開催する、みたいなものだったように思います。

 

お芝居の練習は放課後ほぼ毎日行われました。

学校でできなくても、それこそ帰り道でも練習をしていました。

その中で、私は毎日毎日、何をやっても注意されつづけていました。

覚えているのは「目の演技」に良くダメ出しされたこと。

まばたきをしたら「そのタイミングでまばたきしないで」「何か違う、やり直して」

みたいな繰り返しで、何をやってもとにかくいつも注意され続けていて、

教室で休憩時間でもたまにベランダに呼ばれたと思ったら、またお芝居のことで

文句を言われたりする。

「ごめんなさい」

それが口癖の毎日が、6年生のいつまでか覚えていないけれど続きました。

私は、そのことをどう思って良いのか分からずにいたのです。

本当はとてもとても嫌なことだった。でも親に知られたくなかった。

いじめられてるって思いたくなかったんでしょうね。

普段仲の良い友達だったから、どう説明して良いかもわからなかった。

私は自分が悪くていっつも注意されているだけって思っていました。

二人で遊んでいる時はそんなことを言わない「親友」なんです。

だから彼女がその練習の場で口にしていることは、お芝居の特訓で、

私がそれについていけないだけ。そう蓋をしないと、学校に行けませんでした。

思い出すのは、教室で、私が毎日ぼんやり思っていたこと。

「いつも授業中だといいのに」

練習に行かずにそのまま家に帰りたい、そう思っていたけど、

私は毎日言われるがまま参加していました。だって、約束やぶりは罪だから。

 

 

そんなことが続いたある日のこと。

先生が私に話しかけてきて、

「お前、大丈夫か。他の子から聞くし、先生も見かけるけど、つらいか」

みたいなことだったかな。その頃のこと、少し薄ぼんやりしているのです。

「大丈夫です。私がへただから怒られてるだけです」

みたいなことを言った気がします。

「先生が見る限りなあ、そんなみんなおんなじくらいのもんで、お前だけへたとかに

見えへんけどなあ」

事前に聞かれたかどうか覚えていないけど、

その少しあとに「私」が議題の「学級会」が開かれました。

f:id:hainekosan:20190623192143j:plain

私が周りにどうみられていたか。

きっとその時私が自分に言い聞かせているようには見えていなかったようです。

私たちが練習している様子は、それこそ通りすがりの人や、ほかのクラスメイトに

見られていて、そこからその子たちの親にもいったのでしょう。

(ちなみに私が家で一言もその話をしなかったため、

日中働きに出ていた母が耳にしたのは、私が卒業してからだったそうです)

 

「私」が議題なのです。今でもこの時のことを思うと、恥ずかしさと、悲しさと、

何かわからない気持ちで一杯になり、たまらなくなります。

学級会で、まず私が立たされて、話が始まりました。それからの45分間、

私が一人立っていて、他はみんな座っている構図が続きました。

私をかわいそうにとちらちらするクラスメイトの目や、

ぼんやりとしか視界に入れられなかった責められているお芝居グループの彼女たち。

「〇〇さんが毎日かわいそうに思います」

「どうしてそんなことをするのですか」

「そんなつもりではないです」

みたいな感じだったのでしょうか。

私は何か言ったのでしょうか。言ったような気もします。

「私は大丈夫です」みたいなことは絞りだして言ったかもしれない。

その時の光景は、私にとってどう見えていたか。無、でした。

どうでもよかった。こんなことで何が変わるのだろう。

また明日から同じではないだろうか。むしろもっとひどくなったらどうするのか。

その時、一体どうやって助けてくれるのか。

何故私一人が立って、この話を聞かなければならないんだろう。

どうしてあんな目で見られなければならないんだろう。

早く家に帰りたい。早く家に帰りたい。話し合いなんて、いらない。

 

先生やかわいそうにと思ってくれていた他のクラスメートたちは私の事を

思ってしてくれたのでしょう。

でも私は、あの時そんな気持ちでした。深い海の底で溺れているみたいでした。

 

 

その日がどうやって終わって、それから卒業までどんなだったか、

正直あんまり覚えていないのです。

ただ、卒業前に「親友」の彼女や、お芝居のグループの友人たちが、

私に「サイン帳」を書いてと持ってきてくれたので私も渡しました。

無でした。

でもそんな思いに蓋をして、当たり障りのないことサイン帳に書き、

彼女たちからは「ごめんね」みたいなことが書かれていたように思います。

そして、親友だった彼女の言葉は多分こうでした。

「ちょっとあなたに嫉妬していたと思う。ごめんなさい」

私は多分「別にいいよ、何も思ってないよ」みたいなことを言った気がします。

嫉妬って何だろう。正直わからなかった。

そんな上手くもなかったと思うのに。

 

 

当時学校を休むとか、親にこういうことを言うなんて、思いもいたらなかった。

むしろ知られたくなくて、なら学校に行くしかなくて、どうしたか。

本当の気持ちに蓋をしました。

その後長い間、そのバリアを張って生きていくことになるのです。

「ごめんね」って言ってくれたし、もう済んだこと。たいしたことない。

そして。彼女とその後も、友人付き合いが続いていくことになります。

 

 

今これを書いていると、以前の会社の中でフラッシュバックが

すでに出てしまった後なので、

学級会の時のことがトラウマになっていることがわかっています。

なので正直まだ書く手も続かなくなりそうになります。気が付けば涙が溢れます。

 

 

でも、当時は泣くような思い出ではなかったんです。

普通に学校にいくために、完全に蓋をして、自分の心を殺したからです。

フラッシュバックが出るまでは、この頃の自分の思いを知りませんでした。

 

 

そうして心に蓋をしたまま、少し知恵を絞れる中学生になるのです。

【つづく】