「どーせ無理」に傷つけられた人へ。8回目のつれづれ。
40代のおばちゃんでも、生きなおせるよ。
今日、ツイッターを何気なく見ていて、ふと出会った動画。
20分もあるのに、あっという間に終わってしまうくらい、シンプルに良かったのでご紹介します。とっても有名なんでしょうけれど、私は今日知りました。そして、泣きました。
会社辞める直前に観て涙が止まらなかった植松努さんのTEDスピーチ。
— あんちゃ/執筆屋 (@annin_book) 2019年6月16日
もう何回観たかわからんくらい救われてるし、今見ても泣く。
内容もさることながらストーリーの組み立てやわかりやすい言葉選びも本当に勉強になる。
10代20代は特に観てくれ…20分間が一瞬で終わるから…https://t.co/fKY1G6Iy8b pic.twitter.com/cEOFf5NhQg
「どーせ無理」をやめる。最初聞いた時は、「でも思っちゃう人間もいるよ…」って感想でした。自分を責めることはやめようと決心しているのに、植え付けられている根深いものが時々顔を出すんですよね。
でも、YouTubeのこの動画のコメント欄に、ご本人の植松務さんが書かれていた言葉を読んで、気が付いたら涙があふれていました。この動画を観られた方は、是非コメント欄も読んでほしいなと思います。
「どーせ無理」に何度頭を打たれたことだろう。そんな人はきっと、いくらでもいますよね。少しづつ色んなものをあきらめて、心に蓋をして、私の場合はこんな年になりました。会社を辞めるときは「不安障害」になりました。でも。
すんでのところで気が付けた。自分を守る事ができた。それは、今までに出会った私だけの財産によるものだと思っています。
まず、かけがえのないたった一人の友人に中学で出会えたこと。
彼女とただ楽しく話しているだけで救われた。私がこんなだから、壊れていたから、時々急に自分が嫌になって、嫌な思いもさせただろうに、何故か彼女はそんな私をわかってくれている稀有な存在でした。夜何時間も電話でしょうもないことを語り合って、夢を見て。そんな何気ないことで、救われていたんです。
ここでは彼女との思い出は語りつくせないけれど、私にとって奇跡のような出逢いでした。
中学、高校とはまった音楽や本たち。
闇深いけれど、まだ若く臆病で自分を責める子供だった私。アイドルなんかにミーハーな部分もありつつも、徐々に当時のロックに救いを求めていきます。中学のころはチェッカーズに始まったのですが、そののちルーツを辿るようになり、50年代ロカビリーにいき、そしてそんな熱が冷めてくるころに出会ったのがロックで、高校の時出会ったのはボ・ガンボスや大阪や神戸のロックバンドたち。自分には学校とは違う世界があるって思えたことで、踏ん張れた。そして当時流行っていたブルーハーツ。あの頃の心にはそのまんま痛すぎて、素直に好きって言えなかった。
そして、図書館で借りたたくさんの本たち。貪るように読んで、その世界に入っている時は現実を忘れられた。
子どもを育てたこと。
娘との20年間は、かけがえのないものでした。今までに出会った人や、音楽、本によって私は少しづつ力をもらって何とか生きていました。でも、自分単体を思うとき、私の人生なんて、何にも意味がないって思うことをやめられなかった。自信がどうしても持てなかった。
だから、自分の子供を産んで育てたことは、そんな私の唯一の誇りだと思える一部分です。決していい母親じゃなかったかもしれないけど、精一杯愛し、全力で守るために何とか今まで頑張ってこれたんです。
最後に。自分の心が危なくなったら逃げていいんだよ。
そんないくつもの財産があって、今私はこのタイミングで人生をやり直しています。
今までは何とかやってこれたけど、それは色んなものにバリアを張って我慢して、でももうそれは壊れそうになった。だったら、今ここから逃げてもいいやんって。今までのブログでも書いていますが、一人ではここまでこれなかったなあって思います。
今の自分に何ができるのかわかりません。でもこんな風に生きなおしている私をさらけ出すことで、ダメな自分も認めてあげることで、今自分をカウンセリングしているのかもしれませんね。
植松さんがおっしゃっているように、色んな理由で「どーせ無理」に傷つけられて自分のことを好きになれない人間が、若い子や子供が、たくさんいると思います。願わくば、自分の可能性を自分で否定するところまで追い詰められる人が、少しでも救われるといいな。失敗したら、「ただいま成長中!」で逃げよう。私もそう思います。
ちなみに。植松さんの「仲間がほしいんです」が、なんかドラクエみたいで可愛くないですか?
拙い文章を、最後まで読んで下さった方、どうも有り難うございました。
またいつか、お会いできる日まで。