hainekoのつれづれブログ

初めてブログを書いてみます。色んな人や好きな作品について徒然します。

3回目のつれづれ。最近読んだ本。

今日は、私の名前「haineko」の由来について書いていこうと思います。

 

中学生の時、休みの日はよく図書館へでかけ、たくさん本を借りて読んだものです。

いくつも印象に残っている本はあるのですが、その中でも大好きで何度も読んだ中に、「夜の子どもたち」という小説があります。

 

以下、あらすじを引用します。

ある日突然、登校拒否におちいった五人の子どもたち。若きカウンセラーの調べによると、彼らにはある共通の恐怖体験が……。昼とは全く別の顔をもち、夜を異常なまでに恐れる大人たち。暗黒の闇につつまれた町を舞台に、若きカウンセラーと子どもたちが、幾重もの謎に立ち向かう。日記を綴るように一日一章づつ読みながら、11日間の冒険を彼らと共に体験できる、ひと夏の夜の物語。

  

灰猫(はいねこ)、というのはその本に出てくる重要なワードです。

以下、抜粋して引用します。

 

「だいじょうぶだよ」と明が言った。

「何で」

「だって、あいつ灰猫だから」

「灰猫?」

 光が笑って説明した。

「知らない?何かゲームをするでしょ。その中に、幼児が混じってるとするよね。その子はルールはわからないけどいっしょになって遊びたいわけ。だから、ゲームに入れてあげるんだけど、ルールを間違えても知らんぷりしてあげるの。そういう子のこと、灰猫っていうの。」

 「つまり正式の参加者じゃないってことか」

「なるほど」とルミは感心したように言った。

「灰猫は、じゃあいっしょに遊べるし、ぽつんと見てることもないってわけね」

 

私の育った町では、そういう子のことを「ごまめ」と呼んでいましたね。

上記文章の中では、五人の不登校児のうち、「真理子」という中学1年の女の子のことを言っています。彼女は恐怖体験以降、学校にも行けず、口も聞けなくなってしまったのです。

本を読み進めると、「灰猫」というワードが他の意味を成してくるのですが。 

 

私の名前は、この本で印象深かった「灰猫」からとっています。

 

私は当時この本を、なぜそんなに惹かれたのか、何度も何度も借りてきては読み返した思い出があります。

大人になっても心に残っていて、ネットで探して購入したほどです。

 

当時の私も彼らのように中学生で、学校なんて大嫌い、特に教室での集団が怖かった。

小学校の時のように、どんなに辛くても、親に言えないから学校に行くしかなかった。そして行くためにはバリアを張って蓋をして、心の中の自分を押し込めてきました。

中学生になると、頭を使い親にばれないように、時々学校をズル休みしたりしていたし、悪い子でした。そうすることで、ギリギリ不登校にならずにすんでいたのです。

心の中は真っ暗だったけど、それでなんとかなっていたのだからきっと甘くて弱くて、だから我慢しなければならないと思っていました。

 

本の中で、不登校になってしまった彼らは、突然自分以外の周りの人が石のようになってしまう光景に遭遇します。何度もそんな経験をした彼らは、怖くて学校に行けなくなってしまうのです。

無理もない。どんなに怖かっただろう。その現象がなんなのかはさておきます。

その子たちの目線にたてば、その光景が恐怖でしかないとわかります。

若きカウンセラーは初め、自分の立場や価値観、考えで物事を進めようとし、カウンセラーとしての表面を取り繕います。物わかりの良いふりをして、実際は理解できないことも理解できるふりをします。

でも、それではカウンセラーとしては失格でした。子供たちはずっと彼を信じられないままでした。

理解できないなら「わからない」と言えばよかった。同じ心理カウンセラーの教官に諫められて、彼ははじめて自分の中をわかっていたはずのことを思い出します。

 

カウンセラーには救うことなどできないのだ。本人が自力で悩みを解決するための筋道をいっしょに探すだけのこと。

 

頼りなくなってしまった若きカウンセラーですが、余計なものを取っ払ってからは、彼らと同じように「怖さ」を感じるようになります。そうして、やっと彼らと同じ思いで共に謎に立ち向かっていくことになります。

 

この本を読んだ当時、彼が子どもたちの前で恥ずかしいくらいに諫められ、焦りや憤りを露わにし、意気消沈していきながらも、自分の中の駄目な部分を認めることで、大事なことを思い出すさまが、印象的でした。

何故か、ここで涙が出たのを覚えています。悲しかったのです。

 

彼は間違っていて諫められているのだけれど、私にはそのシチュエーションが小学校の時の自分と重なり悲しくてしょうがなかった。自分と同じように攻められているように見えたのでしょう。(その頃の話は「まずは最初のつれづれ。」で少し触れています)

 

本当は悲しいことではなく、彼にとってカウンセラーとしてだけでなく、人として成長できた素晴らしいシーンなのです。

私のあの時とは、違うのだと、今なら思うことが出来ます。

 

皆さんも子供の頃夢中になって読んだ本はありませんか?

大人になってから読むと、また一味違ってみえるかもしれませんね。

 

灰猫。

私はずっと灰猫になりたかったのかもしれない。

ひっそりと、目立たなく生きていられればいい。

今もなお、そう思っているのかもしれない。

 

 

このブログを書くにあたって、長い間読めていなかったので再読いたしました。

読んだ方にはわかるかもしれませんが、やっぱりこの本での「夜」、そして「カレルピー」は怖い!

 

拙い文章を、最後まで読んで下さった方、どうもありがとうございました。

またいつか、お会いできる日を楽しみに…。 

夜の子どもたち

夜の子どもたち